生活、療育、学習
「さぼる」という言葉は、怠けているという否定的な意味を持ちます。ところが、PDD児は、否定的な意味を持たない「さぼる」行動をとることがあります。
「スーホの白い馬」という教材があります。ある時、これを2年生の子どもに書き写させていました。「スーホの白い馬 おおつかゆうぞう作」で始まります。1ページ目を20回くらい書いた頃、教科書を閉じて、「はい、言ってごらん」と指示すると、「すーほのしろいうま」は言うのですが、作者の名前も言えないのです。他にもいろいろと特徴があったのですが、この子は、書き写してはいたのですが、読んでなかったのです。言葉は、文字の形、文字の読み、文字や言葉の意味という3種類の属性を持っているわけですが、この子は、形という属性とだけ付き合っていたのです。「スーホの白い馬を書きなさい」と指示されていたから、「すーほのしろいうま」は言えたのですが、作者以降は読まずに形だけを書いていたのです。知能指数は100を超え、日常会話は自由自在な彼ですから、そんなことは予想だにしていませんでした。シングルフォーカスとか、モノトラックなどと表現されてきた、PDD児の特徴ではあるのですが。
PDD児は、だいたい、作文が苦手です。だから、彼らの作文指導をするときは、ある程度は、こちらが文章を言ってあげることになります。こちらが言ってあげる文章を書くという形になるわけです。ところが、これを一旦始めると、全部言ってもらうと決めてしまい、全然考えなくなります。「えーっと」と自分が3回ほど言うと、先生が文章を言うからそれを書くというルールを決めるのだと思います。多分、悪意はありません。
計算の苦手さを持っている子どもに何枚も算数のプリントをさせていたら、ある時、たまたま、プリントの初めの数問の答えが同じでした。そうすると、次のプリントをもらった瞬間、問題も見ずに、答えを3問書いてしまう。これも、手を抜いたわけではないのです。答えはこれだと真理を発見したつもりだったのでしょう。
これらの行動は、自閉症の特性を知らない人から見ると、「考えない」とか「さぼっている」と言われる行動です。一般社会で自立して人生を歩んでほしいと思っていますから、一般人からみて、「さぼっている」と見える行動は、改善すべきですし、実際に改善できます。でも、PDD児は、悪気なく、否定的な意味合いのない「さぼる」行動をついとってしまう。おうむ返しでなく答える力があるのにおうむ返しをしてしまうのも、同じことです。
一般社会の中で、全ての人がPDD児に配慮し、彼らの特性にあった仕事をするだけで、毎月30万円も給料をくれるような会社がたくさんあったら、私は、あえて、これらの行動を「さぼる」等という言葉を使って表現しませんが、残念ながらそんな会社はありません。一般社会の中で生きていってほしいし、努力すれば、身につけられる行動だから、「さぼってはいけません」と注意して、読んで意味を考えながら書き写すことを要求しますし、作文は自分で考えて書くよう指導しますし、おうむ返しをするのではなくて、答を考えて答えるように指導します。作文指導では、明らかに違うことを言ってやると目が覚めます。たとえば、「お母さんが作ってくれた弁当には、蛇と蛙がはいっていました」みたいに。さすがに違うと気がついて、自分で考えます。
PDD児を育てる(3)