診断に敏感な保護者に診断をどう説明するか

 我が子に○○障害などという診断はついてほしくないのは保護者の気持ちとして当たり前のことです。診断めいたことを話すと「うちの子は普通です」とかたくなになられ、その後、話を聞いてくれなくなる保護者は確かにいらっしゃると思います。私は、保護者が診断を受け入れてくれれば、問題の整理もしやすいし、親も覚悟を決めてくれて、その後のつきあいも楽になるので、診断というものは便利なものだと思いますが、デリケートな方には、特に触れずに具体的な症状の改善にどんどん取り組んでいくようにしています。最近、幼児期のPDDの診断については10年ほど前と比べると、最近では、かなり全般に一致を見ることが多くなってきたように思います。しかし、まだ、学齢期の子どもについては混乱が見られるようです。PDD(広汎性発達障害)とADHD(注意欠陥・多動性障害)とLD(学習障害)です。診断の混乱については様々な要因が考えられますが、一つは、日本とアメリカの文化の違い、そして、もう一つは、この分野での主導権争いのようなものが影響しているように思います。

具体的な困りごとは保護者の方も悩んでおられます。特に学習の不達成は共感していただきやすい問題です。こちら側からの援助プランが成功していくと、自然に診断の話題に入っていけます。保護者の方から話をそちらへ持って行かれることもよく経験するところです。

どんな行動が問題とされて臨床の場に登場するか?

 上記のような軽度の発達障害を持っている子どもが全て問題行動を呈するわけではありません。その中の一部の子どもだけが、困った行動を示します。対応が良ければ彼らはとてもよい子として学校生活に適応します。
 私は、次の項目について検討しています。

授業中の問題

授業中の問題

a
立ち歩くかどうか。教室を出ていくかどうか。
b
お絵かきや、漫画を読むなど勝手なことをしているかどうか。
c
独り言や、勝手喋りが多いかどうか。

先生の指示について

d
全体への指示で聞けるか、個別の指示が必要か。
e
掃除を真面目にするかどうか。

対人関係

f
対人関係で孤立していないか。
g
対人関係で暴力暴言があるかどうか
h
いじめられるか
i
他児の何気ない発言を被害的に受け取って騒ぐか。
j
他児を注意しすぎるか。

コミュニケーション

k
コミュニケーションがスムーズにできるか。勝手喋りではないか。
l
流暢に話せるか。
m
目を見て話せるか、話を聞いているか。

こだわり

n
偏食があるかどうか。
o
勝てないと騒ぐかどうか。
p
100点取れないと騒ぐかどうか。

学習について

q
四則演算がスムーズにできるかどうか。
r
文章題はどうか。
s
読み、書きについて、ズムーズにできるかどうか。
t
眼球運動の問題はないか。

注意力の問題

u
忘れ物は多くないか。
v
整理整頓についてはどうか。

運動

w
全身運動はズムーズかどうか。
x
手先の運動は器用にできるか。
y
親との関係 親の指示を聞けるかどうか。

その他

z
嘘をつくかどうか。
az
爪噛み、爪むしりはどうか。

解決のためにすること

生活の改善

 第Ⅰ部で伸べた、生活リズムの改善、テレビ、ゲームの制限は、行動修正に関してもとても有効です。授業中の問題行動や、対人暴力のある子どもは、ほとんどの場合、遅寝朝寝坊、テレビは見放題、ゲームはやり放題です。相談室で会う彼らは、椅子にだらっと落ちそうに座り、表情筋がたるんだ寝ぼけたような顔をし、すぐにイライラしたり、無気力だったりします。生理的にがんばれない状態にある場合には、がんばろうと言っても無理です。これは、どのような問題行動があろうと共通して取り組んでいただくことです。
 aからp(d,h,k,lを除く)とyについては、目標行動をたてて、それを守っていくように本人を説得し、必要な場合は薬物の助けも得ながら、行動チャート(後述)で評価してほめて、行動を改善していくというやり方をとります。
 目標行動は、例えば次のようにたてます。
abc→授業中は座って真面目に授業を受ける。
e→掃除を頑張る。
f→友達が遊んでいるところへ行って、「いれて」と言う。
g→お友達にいらいらしたら先生に言いに行く。
i→友達が悪口を言っていると思ったら、先生に言いに行く。
j→友達が悪いことをしていたら、自分で注意せずに先生に言いに行く。
m→先生の目を見て話を聞く。
n→給食は完食する。
o→ゲームに勝てなくても騒がず我慢する。
p→100点を取れなくても、素直に騒がずに直しをする。
y→お母さんの言いつけを一回で聞く。
 こんな感じなのですが、まあ、目標行動自体は驚くほど単純です。

 目標行動の設定よりも、本人とどう約束するかという点の方が重要なのです。
 私は、相談室で子どもと向き合うとき、まず、どんなことを褒められるか探します。学校での過ごし方などを聞きながら、できるだけ褒めます。たくさん褒めた後、問題行動に触れ、当たり前のように、「そんなことしていたらいかんねえ。わかってるよね」から始めて、「先生の言うことは聞かなければいけない」ということと「先生はたくさんあなたを褒めてあげたいんだよ」ということを教えるようにしています。それが成功すると、だんだん、それは無理だろうと、同伴の親が思う約束も、してくれるようになります。たとえば、「今日から、DSはやめよう」のような約束です。

 

 問題行動を日々、当然のように繰り返していても、実は、子ども達は、していい行為といけない行為の区別は付いています。はっきりと、いけない行為については「いけない」と言ってやることが大切です。多分、「この先生は許してくれないな」あるいは、「この先生はだませないな」と思っていると思います。いけないということは一応わかっていても、基準が混乱しやすく、人目はばかることなく平気で乱れてしまう彼らですから、立ち歩き、学習の手抜きなど、基準をきちっと守ってやることがとても大切になります。
 不適応行動を抱えて生きてきた子どもたちは、褒められることに飢えています。また、最近のカウンセリングマインドをむやみに大切にした対応では、してはいけないことをしてはいけないと毅然として教えられないために、してはいけないこととは思うけどもしても良いのかなあ、といった感じで基準が曖昧になっています。だから、良いことは褒められ、悪いことは叱られるという基準のはっきりした人物として彼らの前に登場するのです。とても単純なことです。
 oやpなど、こだわりによるものについては、ソーシャルストーリーと言われる手法が
効果的です。ソーシャルストーリーとは、次のようなものです。

テストについて

 テストは、100点を取れたらとてもうれしいですが、いつも100点取れるとはかぎりません。
 テストでまちがえたら、なにがわからなかったか、よくわかります。まちがえて、まちがえたところをなおしたら、次から100点取れるようになります。だから、まちがえても、泣かずになおすようにがんばります。
 100点を取れなかったら怒ってテスト用紙をくしゃくしゃに丸めてゴミ箱に捨ててしまう子が、そんなことで、納得するわけがないんではないか?今までさんざん言い聞かせてきているのに。と思われても当然だと思いますが、単純な手法です。
 どうして、こんな単純なことが有効なのかというと、PDD児達の視覚優位傾向が理解を邪魔している、あるいは、対人関係障害が影響して今まで指示が理解されていってないからです。彼らは話す時に目を合わせないことが多いです。これは、目が合わないのではなく、「他のものを見ている」と表現した方が適切です。たとえば、話を聞いているときに、話し手の後ろにある本棚の本の背表紙に書かれている題名などをちらちらと見ながら読んでいるので、話が全部聞こえていないのですが、最後に、「わかった?」と聞かれると「わかった」と答えるのです。わかっていません。また、そういう会話に慣れていますから、きちんと聞かずに「わかった」と答えることが悪いことだとわかっていません。だから、文章の読み合わせをしながら、してはいけないことは何か、何故してはいけないか、どうしたらいいのかを説明すると、本人はとても納得がいくわけです。納得できれば、PDD児特有のまじめさでがんばってくれます。
 しかし、こだわりとの闘争は、この手法を始めるまでに、その子どもが、どれだけごね得をしてきた歴史を持っているのかによって、解決への道のりは長いものになることがあります。これについては、あとに述べます。
 このように納得させて、その上で行動チャートで評価する。行動チャートとは、目標行動を書いて、それが、毎時間達成できたかどうかを、記入する表です。達成できれば、丸をつけたり、シールを貼ったりします。残念ながら不達成の場合は×を記入します。そして、毎日、学校と家庭を行動チャートは往復しながら、家庭と学校で、先生と両親からたくさん褒めてもらいます。初期のうちは×は問題にせず、○だけを褒めます。そうすることで、○が増えていきます。私がよく使っているソーシャルストーリーと行動チャートは、巻末にのせてあります。

参考書:シンシア・ウィッタム著 「読んで学べるADHDのペアレントトレーニング-むずかしい子にやさしい子育て」「きっぱりNO!でやさしい子育て-続読んで学べるADHDのペアレントトレーニング」明石書店

その他の問題行動

 「h.いじめられるか」では、やはりいじめられやすい子どもではありますから十分に注意が必要ですが、いじめられる原因を作らないように気をつけることは大切です。
 しばしば見られることは、食事の取り方が汚い、服が汚れている、髪の毛がぼさぼさ、他者に話しかけるときにすぐに手などを触る、話しかけられたときに返事をするまでの間が長く、その間何も表現しないために無視しているようにとられる、歩いているときに他のことを考えてにやにやしている、等です。これらは、直そうと思えばすぐに直せることですから、すぐに直してもらいます。中学生には、鏡を持ち歩くように指示して時々顔をチャックさせたりします。
「d.全体の指示を聞けるか」「k.コミュニケーションがスムーズか」「l.流暢に話せるか」は、コミュニケーション能力の発達が求められる課題です。dの問題では、しばしば、支援員などといった横についてくれる先生が、担任の先生の話を全部通訳してくれるために、児が、先生の話を聞かなくても良いと思っている場合もあり、注意が必要です。
「q.」「r.」「s.」「t.」の学業の問題は、とても重要です。学校という場所にいて、勉強が出来なければ、やはり、学校の中に居場所は出来にくいものです。粘り強い家庭学習でかなりの部分取り返すことが可能ですから、一緒に努力します。勉強が出来るようになると、セルフエスティームがあがり、さらに素直な聞き分けのよい子になります。学業の問題と並んで、「w.全身運動」「x.手先の運動」も、日々鍛えることでかなり改善するものです。これもセルフエスティームの回復を後押しします。
「u.忘れ物」「v.整理整頓」は、家庭と学校の連係プレー、整理しやすい工夫が求められます。
「z.うそをつく」は、なかなかやっかいな問題で、いまだ、この問題の解決法はわからないことがあります。これについても、あとで述べます。

こだわりとの戦い-対人関係の再構築

 PDD児を育てるのに、こだわりにどう対応するのかは、とても大切なことです。道順、服など、幼児期のこだわりは、強力なアプローチがなくても乗り越えて きている場合が多いですが、5歳児くらいから始まる、勝ちへのこだわりは、放置しておくとそのまま引きずる場合が見られます。絶対に克服してほしいこだわ りとしては、この勝ちへのこだわりと、小学校にはいると顕著になる、100点へのこだわり、偏食、学習する際の、量へのこだわりです。
 勝ちへのこだわりは、トランプ遊び、かけっこ、椅子取りゲームなど、勝ち負けのある遊びではどれをしても出てきます。多くの場合、激しく怒ります。負けそうな遊びは初めからせずに、逃げます。当然、集団活動が出来ません。
 100点へのこだわりは、間違った答えに、×を付けられると激しく怒ってプリントを破り捨てる、出来ない問題は、そこだけくりぬいて、穴あきプリントを作るといった行動に出す。

 学習する際の量へのこだわりと書いたのは、ぱっと見て自分の心積もりよりもたくさんあると思うとしないと決めてしまうという行動を言います。これと類似したものでは、出来ないと思うと頭を使わなくなるというこだわりもあります。たとえば、僕は5年生だから、6年生の漢字は難しいと決めて「できない」と大騒ぎをしたりします。IQがとても高い子どもをのぞけば、このこだわりがあると学力がつきません。また、学習障害を合併することが多いことを考えると、「歯磨きをするように」毎日当たり前に学習に黙々と取り組む姿勢を作ることはとても大切なことです。
 さてこれらのこだわりに対しては、ソーシャルストーリーで教えてから、問題の場面に臨んで、励まして乗り切らせるという方法が、基本です。前述したようにこの方法で、スムーズに乗り越えられるか、あるいは、乗り越えられないかは、その子どもが、それ以前に、どれくらいごね得をしてきたかによります。
 まず、ごねまくって周りに勝ち続けてきた場合が、考えられます。ごねないように(一般にはパニックを起こさせないように)配慮して、騒ぐことはさせないという方法を推奨している本や「専門家」もいますから、ごねる前に周りがその子どものしたいように環境を変えてしまうことによって児の思い通りに過ごさせてきた場合もあります。いずれにせよ、そういう期間が長ければ長いほど、こだわりを乗り越えるまでのやりとりは長く苦しいものになります。闘争と呼びたくなるような。

 小学校3年生の春に相談に来たA君。たいそう騒ぎの激しい子でした。知能指数は普通でした。生活リズムの指導や、その他の問題行動を指導をしていましたが、まあまあがんばるのですが、なかなか、パーフェクトな改善になりません。今度会うときまでにこれをがんばろうねと約束しても、結構約束を破ります。表彰状なども用意していたのですが、なかなか渡せません。そこで、ペナルティとして始まったのが、行動チャートの×一つにつき、スクワットを10回する。文章を暗唱する。漢字の学習をするなどです。
 「無理ー!」「死ぬー!」「あー!」「家でするー!」などと大声で叫びながら、頭をかきむしり、背中を反らせていき、そして、のたうち回るというのがこのA君のごね方でした。いかにも大混乱状態で苦しんでいるようにも見えます。よくパニックと呼ばれるものです。ピアノや食器棚が騒いでいる場所にあると、ときどき、泣き叫ぶのを止めて、1~2秒、自分の姿を見た後、再び騒ぎます。つまり、パニックと呼ばれるような、混乱状態ではなく、きわめて冷静に、自分の暴れ具合を観察しながら暴れ、私たちの出方を見ているのです。A君の「冷静な暴れ」に1年ほど付き合いました。1年間で50回ほど、付き合った時間は、平均して1回5時間くらいだったでしょうか。彼は、騒いでも良いことがない、損をするということがやっとわかったようで、静かな、とても聞き分けの良い子になりました。この取り組みの中でわかったのですが、学校ではA君が「今日の昼休みに鬼ごっこをしますから、滑り台の下に集まってください」と言うとクラスメートが皆集まってくれて、ずっと彼が鬼をやり続ける鬼ごっこに付き合ってくれる(彼は鬼をするのが好き)、トラブルがあってA君が誰かにかみついても、A君にも謝らせるのですが、必ず被害者の子にも、僕も悪かったと謝らせるというような、周りからの配慮がたくさんあったのです。僕も悪かったと噛みつかれた子が謝るのは、A君が騒いでいる時にA君の嫌いな言葉である「うるさい」と言ってしまったから、「うるさいといってごめんなさい。静かにしてと言えばよかったです」と謝るのです。
 周りからの「暖かい配慮」で、具体的には彼のわがままを皆で協力して許してあげるという対応がなされ、この子にわがまま放題したら周りは君に合わせてくれるよということを教え続けてきたことがわかりました。また、私が出会う以前にかかっていた医療機関でも、「こだわりにひっかからないように配慮してください」と指導されていましたし、家庭でわがまま放題にとてもつきあえないと、母ががんばっても、祖父や父が、「そんなに騒いでいるんだから聞いてやれ」とごね得を許す役割を果たしてきたこともわかりました。1年間付き合う中、半年後には学校が対応を変え、9ヶ月後には家庭での対応も変えてくれて、全体でごね得を許さない対応を統一できてからまもなく、彼はどうしたらよいのかがわかったのです。
 騒いでも無駄だということを教えようというつきあいは、私たちの側にもすごくストレスでした。褒めることがなくなってだんだん叱ってばかりになり、しかし、暴れ続ける彼に、わかってくれる日が来るのかどうか、完全に行き詰まっていましたが、でも、継続は力でした。わかってくれる日が来ました。そうしたら、彼を褒めることがたくさん出てきました。私たちは、「パニック」と世間で呼ばれる症状は、「わがまま暴れ」であるとわかりました。
 他にも、たくさんの子どものこだわりと付き合ってみると、だいたい、暴れ方のパターンが見えてきました。叫ぶ言葉は、A君と同じで、「無理ー!」「死ぬー!」「あー!(最近の漫画だとこの「あ」には濁点がついています)」が、代表的な言葉です。他には、咳が止まらなくなる。吐く。目をつぶって開かなくなる。泣く。泣いて鼻水をふーんと出す。眠る。叩いてくる。固まる。そんなところでしょうか。
 いずれにせよ、何ら混乱はしておらず、自分のわがままを通そうとしてるだけであること、今、この子どもに教えようとしていることは、絶対この子のためになることであることという2点を確信して、こちらが基準をぶれさせずに、待つことです。暴れるきっかけとなった行為は必ず達成させます。すると、ごね得をたくさんして生きてきた経過がある子どもは時間がかかりますが、そうでもない子どもの場合は、結構スムーズに素直な子になります。素直な子になると、その後の成長はすばらしいです。暴れている間、成長できないのです。マイペースで自分のしたいことをしているだけですから。

親との関係

 中学校3年生で、親の言うことには激しい暴言で返し、学校でも、先生達に甘えながらも、時として暴れるなかなか手を焼かせる子どもの場合、何度か話すことのできる場面は作っても、話をろくに聞こうともしてくれません。「べつにー」「さああ」くらいしか返事はありません。何とか薬は飲んでくれても、多少勉強で達成感を味わったり、イライラが減って、多少は普通に両親と話ができたりくらいのことはあっても、長続きはしないものです。高校には進学したものの、長続きせず、、、という人生になってしまいます。

 幼児期から親に対して暴言を吐く、親の言いつけを聞かない子どもがたくさん居ます。暴言は、例えば「死ね」「あっちいけ」です。始まりとしては、たとえば、出掛ける度にミニカーを買わせると行ったこだわり行動で親を振り回したり、保育園などの集団場面で覚えた悪口雑言をそういう場面でたいして意味が分からず使うことから始まるのかもしれません。小学校高学年で、もう全然親の指示を聞かなくなっていたら、なかなか、その後の明るい人生を想像できにくくなってしまいます。親はその後、子どものご機嫌伺いをしながらの子育てになります。
 そうならないために、こだわりへの対処をきちっとし、教える-教えられる関係を確立し、たくさん褒めて、メリハリ良く叱ることができる親子関係を営むことは、とても大切です。これも、今の世の中でかなり乱れている側面だと思います。少なくともPDD児達は生き方を誤りやすくなっています。

集団療育、いわゆるSSTグループについて

 PDD児達は、対人関係技術(ソーシャルスキル)に課題を持っています。だから、グループで様々な活動をすることにより、対人関係技術を獲得していくことが大切です。と考えて、以前は、相談に関わった子どもは片っ端からグループに入ってもらっていたこともありました。結果、失敗でした。

 

 何があったかというと、どんな大人になろうとか、この先生に褒めてもらおう、この先生の言うことは聞かないといけないんだなあということに、一致した理解がなければ、集団で頑張ることはできないからです。ちょっとしたことに引っかかって始終暴れている子も平気でグループに入ってもらってましたから、グループ活動は成立しないのは当然でした。
 今では、まずは、個別相談を続けるなかで、私の指示をきちんと聞けるようになり、頑張って勉強する、友達とも上手に付き合うように努力する、将来はちゃんと働ける大人になるということについて一致した子どもだけで、グループをしていますから、話し合いをしていても、ゲーム(もちろん、DSとかではありません)をしていても、他児への配慮の無さなどを注意されても、「はい」と聞けるようになっています。だから、グループ場面で教えたことを日常生活でも意識して頑張ってくれるようになっています。

 PDD児達は、何らかの問題行動を抱えて相談場面に現れますが、それが解決したら万全かというと、なかなかそれだけでは、障害の本質を変える努力をしていける子どもにはなりません。ですから、当初の問題が個別相談で解決した後、じっくり付き合って彼らの人生を応援していく場面として私はSSTグループを位置づけています。
 今の世の中では、生きていく上での哲学が失われつつあるような気がします。儒教、武士道、仏教、神道など、日本にはそれなりに生きていく上での哲学があったわけですが、戦争に負けて以来、徐々に、そして、近年とみに、哲学がなくなってきました。「稼ぐが勝ち」とか「人に迷惑をかけない」ことだけがルールだと公言してはばからない人たちもたくさんいます。
 天才的な才能はなく、空気を読むのが下手で、人付き合いが上手くないPDDの人にとって、こんなに生きにくい世の中はないと思います。真面目に頑張っていくことさえ、バカにされたりします。だから、こういう生き方をしよう、こういう生き方で良いんだと正しい生き方を教え、そして、それを皆で支え合う場所が必要だと思っています。SSTグループはそのためにこそ必要だと思っています。

薬物療法

 問題行動改善のために薬はとても有効に働いてくれます。
 最も、有効なのがコンサータ(メチルフェニデート)です。気が散りやすく動き回っている子ども、ボーっとして集中できない子ども、すぐにいらいらする子どもにとてもよく効きます。彼らの人生を、良い方向へぐっと舵取りしてくれる経験を数えきれないほどしています。大切なのは、コンサータを使って良い状態を体験したら、学習の積み重ねや褒められる体験の蓄積によって、セルフエスティーム(自尊感情)を高め、コンサータ無しでも頑張れるように成長してもらうことです。飲んでから12時間ほど効きます。が、副作用として目立つのは、長く効き過ぎて夜眠りにくくなる場合がよくあります。
 ルボックスという薬は、こだわりのきつい子ども、いらいらしてしまう子ども、緘黙のようになかなか話せない子どもに有効です。
 リスパダールという薬は、大暴れする子どもに時々飲んでもらうことがあります。しかし、この薬の長期服用は感心しません。
 薬は、上手く使えば、薬無しで努力して1年かかることを1ヶ月でできてしまうほどの効果があります。薬というとむやみに嫌う人もおられますが、メリット、デメリットを冷静に天秤にかけて考えてみてほしいと思います。

どんな青年に育っていってほしいのか。

 今どきの子育てでは、「子どもの自主性」というものがとても重視されます。「嫌がることを押しつけてはいけない」という風潮が流行です。授業中、立ち歩く子ども、教室から出て行ってしまう子どもは今どき珍しくありません。そのような子どもを無理矢理座らせて良いのでしょうか?とは、真顔で質問されることです。
 こんな会話を経験します。リタリン(以前使われていたコンサータと同じ効き目の薬、ただし、4時間くらいで効き目がなくなる)という薬を飲んでもらいながら、授業を真面目に受けることを約束して一日を過ごしてもらうことになった子どもについては、飲み始めたらすぐに担任の先生から様子を連絡していただくのですが、次のようでした。

「午前中はとても頑張って授業を受けていました。全然立ち歩きはありませんでした。ところが、ストレスがたまってしまうのだと思いますが、午後からは、お友達の悪口を言ったりする姿が見られたのです」
 つまり、薬を飲んで、動きたいのを我慢して授業を受けたら、それがストレスになって午後は問題行動が出てきたという趣旨の報告です。こう返しました。
「今まで、薬を飲んでいなかった時も、お友達の悪口を言っていたのではないですか?」「あ、そうです。」

 つまり、薬が効いて、行動抑制ができている間は真面目に頑張ることができたのが、薬の効果がきれた頃、元に戻っただけの話なのですが、「無理矢理、薬で頑張らせたことがストレスとなって、問題行動が午後には起こってきた」と解釈してしまう現代のストレス論とでも言えそうな考え方をとてもよくあらわしている会話だと思います。そう、我慢させることは良くないことという神話とでもいうような風潮がとても強いのです。授業中に立ち歩く自主性、同級生の悪口を言う自主性というものがあるのかなと疑問に思います。
 彼らが大人になったときに、どんな青年になっていることが幸せな人生を送っていける可能性が高くなるのかと考えると、平均的な能力を持った子どもの場合、やはり、勤勉に腰軽く動ける人として育つことが、自立に最も近くなると思います。
 さて、授業中に立ち歩く子にはどうするか?ですが、答は、無理矢理座らせることではありません。先生の指示は聞かなければいけないということを教え、指示して座らせ、そして、十分に褒めるということが、回答になります。
 今どきの就職戦線では、二人に一人はフリーターと言われます。UFJ総合研究所の試算では、フリーターの生涯賃金は、5600万円。高卒正社員で2億700万円。大卒正社員で2億6600万円だそうです。相談室で、両親ともフリーターで、PDD児の相談に来られているケースも珍しくありません。自立できる青年に育っていってほしいものです。そのためにこそ、相談・支援をしたいと考えています。

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